Écharpecharpe pastel
パステルのストール
13世紀から16世紀にかけて、トゥールーズ、アルビ、カルカッソンヌを結ぶ三角地帯は、
「Pays de Cocagne(ペイ・ド・コカーニュ)」=桃源郷と呼ばれていました。
なぜならこの地域には、人々を魅了する「青」を生みだすIsatis Tinctoria(和名:ホソバタイセイ)を栽培するのに適していたからです。
その花は優しい黄色をしていますが、どうやって美しいブルーを生みだすのでしょう?
二年草のホソバタイセイは、2年目の4月から7月にかけ、直径4cmの枝分かれした花序を伸ばし、4枚の花びらを持つ小さな黄色い花を咲かせます。しかし、ブルーを生みだすのは「葉」のみ。
かつてこの美しい「青」は、ルネッサンス時代、王のための衣服の染色に珍重されていました。また、貴族のみに許されたブルーだったので、貴族たちはこぞってこのパステルブルーを手に入れようとしました。
二年草のホソバタイセイは、2年目の4月から7月にかけ、直径4cmの枝分かれした花序を伸ばし、4枚の花びらを持つ小さな黄色い花を咲かせます。しかし、ブルーを生みだすのは「葉」のみ。
かつてこの美しい「青」は、ルネッサンス時代、王のための衣服の染色に珍重されていました。
また、貴族のみに許されたブルーだったので、貴族たちはこぞってこのパステルブルーを手に入れようとしました。
初夏から秋にかけて収穫された葉は、洗浄、乾燥、粉砕といった工程が行われ、その後発酵させたものをボール状に手で成形し、乾燥棚で乾燥させます。収穫からコカーニュになるまで、通常2年という年月をかけてようやくあの美しいブルーの染料=パステルとなりますが、今も手作業によって作られています。
また、古くは脾臓の痛みや傷や腫れの治療にも使われていたと言われ、漢方では抗菌、抗ウイルス、抗炎症作用があるとして使われてきたという歴史がある素晴らしい植物なのです。
オクシタニー地方は、まさに塗料、染料、化粧品、繊維など様々な用途に使われるこの植物とともに生きてきました。
さて、ルネッサンス期には、このパステルがこの地に巨万の富を与えてくれました。パステルの栽培と取引は、この黄金の三角地帯で行われていたからです。黄金と呼ばれる理由は、この黄色い花の色、この時代、王よりも裕福だったといわれるパステル商人にもたらした富を意味します。
最初に、このホソバタイセイは、中世に生の葉のまま使われ始めました。そのため、色を出すには多くの葉を使い、色も非常に薄かったようです。しかし、この葉を発酵させることによって、顔料が濃縮され、より濃い青色を得ることがわかりました。
初夏から秋にかけて収穫された葉は、洗浄、乾燥、粉砕といった工程が行われ、その後発酵させたものをボール状に手で成形し、乾燥棚で乾燥させます。
収穫からコカーニュになるまで、通常2年という年月をかけてようやくあの美しいブルーの染料=パステルとなりますが、今も手作業によって作られています。
また、古くは脾臓の痛みや傷や腫れの治療にも使われていたと言われ、漢方では抗菌、抗ウイルス、抗炎症作用があるとして使われてきたという歴史がある素晴らしい植物なのです。
オクシタニー地方は、まさに塗料、染料、化粧品、繊維など様々な用途に使われるこの植物とともに生きてきました。
さて、ルネッサンス期には、このパステルがこの地に巨万の富を与えてくれました。パステルの栽培と取引は、この黄金の三角地帯で行われていたからです。黄金と呼ばれる理由は、この黄色い花の色、この時代、王よりも裕福だったといわれるパステル商人にもたらした富を意味します。
最初に、このホソバタイセイは、中世に生の葉のまま使われ始めました。そのため、色を出すには多くの葉を使い、色も非常に薄かったようです。しかし、この葉を発酵させることによって、顔料が濃縮され、より濃い青色を得ることがわかりました。
16世紀に熱帯産のインディゴが大量に渡来したことにより、染色の作業が容易になり、非常に濃いブルーを手にいれることが可能になったことにより、パステル染色は衰退しはじめます。
一時期は、アフリカからのインディゴが手に入らくなった時期もあり、ナポレオンはパステル栽培を推奨し、アルビとトゥ―ルーズに2つの工場が作られましたが、収益性が低かったため、禁輸措置が解かれると工場は閉鎖され、インディゴによって色を補強したパステル染色が再開されます。
しかし、19世紀半ばに還元剤ハイドロサルファイトナトリウム(亜ジチオン酸ナトリウム)が発見され、コカーニュを使った長い時間を要するパステル染色は廃れてしまいました。
16世紀に熱帯産のインディゴが大量に渡来したことにより、染色の作業が容易になり、非常に濃いブルーを手にいれることが可能になったことにより、パステル染色は衰退しはじめます。
一時期は、アフリカからのインディゴが手に入らくなった時期もあり、ナポレオンはパステル栽培を推奨し、アルビとトゥ―ルーズに2つの工場が作られましたが、収益性が低かったため、禁輸措置が解かれると工場は閉鎖され、インディゴによって色を補強したパステル染色が再開されます。
しかし、19世紀半ばに還元剤ハイドロサルファイトナトリウム(亜ジチオン酸ナトリウム)が発見され、コカーニュを使った長い時間を要するパステル染色は廃れてしまいました。
もともと、このパステルは染色にのみ使用されていたため、絵画にはほとんど使われていませんでした。しかし、日常の暮らしの中で、徐々に牛の荷車や馬車、雨戸に塗られたり、蚊よけ、牛の角などにペイントするため、染色業者の桶の底から、パステルを回収するようになりました。今日では、パステルをファインアーツやテキスタイルなどに使用するパステルに夢中な職人たちのおかげで、美術品や織物など様々な使い方がされています。
17世紀に正式に決められた13色のオクシタンブルーにより、非常に明るい「Bleu blanc(ホワイトブルー)」、グレーや黒を基調とした「Bleu d’enfer(地獄の青)」、「Bleu de roi(ロイヤルブルー)」、「Bleu de reine(クイーンズブルー)」などがあります。
フランス王の象徴的な色である「Pastel des Teinturiers」。みなさんも、ぜひ一度この「黄金の青」を手に取ってゆっくりと味わってみませんか?
もともと、このパステルは染色にのみ使用されていたため、絵画にはほとんど使われていませんでした。
しかし、日常の暮らしの中で、徐々に牛の荷車や馬車、雨戸に塗られたり、蚊よけ、牛の角などにペイントするため、染色業者の桶の底から、パステルを回収するようになりました。
今日では、パステルをファインアーツやテキスタイルなどに使用するパステルに夢中な職人たちのおかげで、美術品や織物など様々な使い方がされています。
17世紀に正式に決められた13色のオクシタンブルーにより、非常に明るい「Bleu blanc(ホワイトブルー)」、グレーや黒を基調とした「Bleu d’enfer(地獄の青)」、「Bleu de roi(ロイヤルブルー)」、「Bleu de reine(クイーンズブルー)」などがあります。
フランス王の象徴的な色である「Pastel des Teinturiers」。みなさんも、ぜひ一度この「黄金の青」を手に取ってゆっくりと味わってみませんか?
Valérie Casado ヴァレリー・カサド
アンティークレースが紡ぐ
女性陶芸作家の物語
Tableaux 絵画
色彩あふれた優しい絵画の物語
Panier パニエ
職人が伝え続けるカゴの物語 Part1
Les Bleuets(レ・ブルエ)からのニュースレターを受け取る
RECEVEZ NOTRE
NEWSLETTER
Les Bleuetsからのフランスだより、フランスのインテリア事情、そして一早い商品の入荷情報を特別にお届けします。
私たちはあなたのプライバシーを尊重します。いつでも購読を中止できます。